「長い間海外で研究生活を送ってきたと伺っています。これまでのキャリアについて教えてください。」「海外生活で大変だったことなどありますか?」高校は都立国際高校というところに通っていました。東京都が実験的に始めた学校で、生徒の3分の1が日本で育った高校生、3分の1が帰国生、残りの3分の1が在京外国人でした。姉が通っていたからなんとなく選んだんですが、変わった子たちが集まった、面白い学校でしたね。そこは全体の10%くらいが在学中海外に学びに行くんです。高校の時に留学した姉が、帰ってきて英語を流暢に話しているのを聞いて、やっぱり英語が上手くならないとどこの世界に行っても大変かもしれない、と思って私は大学からアメリカに留学することにしました。その頃祖母が認知症になり、病気のせいで祖母の何かが変わっていくのが不思議でたまらなくて、ぼんやりと神経の可塑性に興味を抱き始めました。アメリカでも珍しいと思うんですけど、通っていた大学は1年生から神経科学の授業が取れるということで、興味を伸ばすことができたという感じがあります。小さい大学のいいところって、学部生のうちからいろいろな実験のクラスがあって、大学院みたいに午前は授業、午後は電気生理とか行動解析のような基礎的な実験、って生活なんですね。4年生になると1年間かけて、選ばれた学生が卒業論文の研究をするんです。そのときは運動をしているとどれだけパーキンソン病を発症しにくくなるか、というような研究をしてそれがすごく楽しくて、大学院に行きたいと思いました。そこでカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の大学院に進学して脊髄損傷後の運動系の回復について研究しました。可塑性に興味があったので学習の研究でもよかったんですけど、運動系って客観的に解析ができるのが好きで。大学院の先生はPatricia Phelps先生とReggie Edgerton先生。Reggie先生が運動系の回復の研究をしていて、Patricia先生は軸索の再生を研究していました。彼女はもともと発生学の研究者だったんですが、発生と再生というのは軸索が伸びるところなどメカニズムが似ているので、再生の研究もちょうど始めた頃で。Patricia先生の興味とReggie先生の運動系の研究を合わせて、損傷した脊髄の軸索の再生を促進したら、実際に運動回復につながるのだろうかという研究をしていました。具体的には嗅覚系の現象を利用していました。嗅覚系では匂いを受容する嗅神経細胞が短期で生まれ変わって、血液脳関門を越えて中枢神経に伸びていく。その時に軸索が伸びるのを助けるグリア細胞があるんですけど、このグリア細胞を損傷後の脊髄に移植して、切れた神経細胞の再生を促進できるか、促進できるとしたらそれは運動回復につながるかどうかというのをテストしていました。結果として促進はできるんですが、それが実際運動神経の回復につながるかというと、そうではないのかもしれないなと感じた覚えがあります。なぜかというと、グリア細胞を移植してそのまま放っておくという、ある意味大雑把なやり方なんですね。どんなタイプの神経細胞の再生を促進していくのかとか、そういった条件を全くコントロールしていないんです。個体によっても違うし。目に見えるような回復につながることは難しいと感じて、大学院卒業後、ポスドクになるときは意図的にちょっと方向性を変えました。ポスドク時代は、脊髄の特性を活かすことができたら回復はどのように変わるか、というメカニズムを勉強したくてスイスのSilvia Arber先生の所に行きました。その後ベルギーのFlanders Biotechnology研究所で独立して研究室を持ちました。今回理化学研究所 脳神経科学研究センター(CBS)に来たのですが、特に日本だから選んだという訳ではないです。また、キャリアを始めたばかりの時に、シニアの研究者に「君はもっと脊髄損傷に特化した研究所に行った方がいいんじゃないか」と言われたことがあるんですけど、私は周りが脊髄損傷の研究ばかりではつまらなすぎるという思いがあって。PI(研究室主宰者)として独立してから思ったのは、やはり研究の環境はすごく大切だということ。私はとびぬけてできる人、ではない。ただ、柔軟性はあるので頭のいい人が周りに沢山いれば、それについていくことはできる。だから理論系の人も、実験をメインにする人も、いろいろな分野のリーダーがいるような研究所に行きたいな、という思いがあって、そういう意味でCBSに来てみたかったんです。アメリカは移民が暮らしやすい国だったな、と思います。住み始めたのが大学生の時で、若かったというのもあったと思うんですが、違和感がなかったというか、自分が外国人だという感じが全くしなかったんです。特にロサンゼルスなんかは、中国語しか聞こえないエリアもあれば、スペイン語しか聞こえないところもあり、リトルトーキョーもあり、本当に住みやすかったですね。
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