CBS Magazine vol.8
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「どんなお子さんでしたか。」生まれも育ちも沖縄県の石垣島で、家族と一緒に干潟や海に行ったり、山に行ったりしていろいろな生き物を見るのが好きでした。勉強は全然しませんでしたが、漠然と生物を調べる研究者になりたいと幼い頃から思っていました。自分が興味を持ったり不思議に思ったりしたことを突き詰めて調べる職業って、素敵だなと思って。それは、家庭環境も影響していたと思います。小さい頃、両親にいろいろ質問すると、父も母も適当に子どもをあしらったりせず、しっかりと向き合ってくれました。例えば、「時間って何だろう」と質問をした時、「何だろうね」と言って、一緒に図書館で調べてくれました。教えるというスタンスではなくて、子どもと一緒に時間をかけて調べてくれる両親でした。「いつまで石垣島に住んでいたのですか。」中学2年生の時、担任の先生が「高校は石垣から離れて沖縄本島に行ってみたらどう?」って言ってくれて。それでちょっと自分の将来というか進路を考えて、那覇の高校に入学しました。大学では生物を研究したいという気持ちが強くなって、特にがんの治療につながるような研究をしたいと思っていました。というのも、日本人の2人に1人が一生のうちにがんと診断されるので(注1)、根本の治療に関わるような研究ができれば沢山の人に貢献できると思ったからです。早稲田大学生命医科学科は、まさに医学寄りの研究をしている学科なので、ここが一番自分に合っていると思いました。ところが、大学に入学するほぼ同時期に母親が脳出血で倒れて、もう意識は戻らないかもしれないと医師に言われました。でも、なんとか意識が戻りリハビリを頑張って、ちょっとずつ母の脳機能が回復していくのを見て、脳の謎に惹かれるようになっていきました。がんの研究をやりたいと思っていたのに脳への興味も湧いて、どちらにすべきか悩みました。「それで、脳の研究をしようと思ったのですね。でも、大学院から理論系の研究に変わりましたよね。」近年の実験技術の発展は目覚ましく、一度に膨大なデータを計測できるようになってきています。一方で、そのような大量なデータに埋もれてしまいがちな背後にある仕組みを説明するためには、数理モデルで調べることも重要だと思っています。たまたま本屋でこの本(「シリーズ脳科学1 脳の計算論」甘利 俊一 監修、深井 朋樹 編、東京大学出版会 2009年)に出会って、ぱらぱらめくって「ああ、これだ!」と思いました。大学2年生の春でした。理論系脳科学の分野を知って、この分野につながるような勉強を学部生から始めました。どうしたらこの本の著者、深井先生と研究できるのだろう、と思うようになって、深井先生の所属を調べたら当時は理化学研究所 脳科学総合研究センター(現在の、脳神経科学研究センター(RIKEN CBS)の前身)にいらっしゃった。東京大学の連携大学院制度を使えば深井先生のラボで研究ができると学部3年生の時に知って、大学院は東京大学に進学し、研究は理化学研究所の深井ラボで行なうことになりました。「数学はもともと好きだったのですか。」中学までは本当に大嫌いでした。高校受験の時に理系か文系か決める必要があったのですが、数学は絶望的にできなかったから理系は半ば諦めていました(笑)でも、受験勉強で中学の数学を復習していたら、どんどんできるようになっていくのが案外面白かった。高校を卒業する時には数学が一番好きになっていました。テクニックとしては数学が好きですが、興味の対象はあくまでも生物というのは変わらないので、理論系脳科学を知ってからは本当に自分がやりたいことが全部できています。「深井ラボからインペリアル・カレッジ・ロンドンに移られたのは、どうしてですか。」脳の理論といっても、特に興味があったのはいわゆる「シナプス可塑性」の理論です。学習が進むにつれて、ニューロンとニューロンの間のつなぎ目のシナプスが強くなったり弱くなったりする過程をシナプス可塑性といいますが、その数理モデルを発展させたいと思っていました。世界的にこの分野で有名なClaudia Clopath先生がインペリアル・カレッジにいらっしゃって、

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