CBS Magazine vol.6
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■ 工学から脳科学までの道のり「どういう子どもでしたか?」「勉強が好きだったのですか?」「長岡工業高等専門学校から筑波大学第三学群工学システム学類に入学したとのことですが、工学を学んでいたのですね。」「現在携わっている研究課題はfMRIを使った研究ですよね。いつからfMRIを使うようになったのですか?」両親が何十巻とある図鑑や偉人伝記といったシリーズ本を買ってくれたので、それらを読むのが大好きでした。学研の「科学」と「学習」も定期購読していて、何度も読み返したのを覚えています。「科学」のほうが好きだったかどうかは今ちょっと記憶が定かではなくて。歴史も好きでしたね。子どもの頃は、勉強はよく出来ました。通信簿に「授業がつまらないのは分かりますが、他の人の邪魔をするのはやめましょう」って書かれたこともあり、性格の悪い子どもでした。テストで100点を取るのが当たり前だったので、漢字テストか何かで10問中1問が分からなくて癇癪を起こして全部消して提出したのを覚えています(笑)要するに9点は0点と同じだったのでしょうね。今は全然そんなふうに思わないです(笑)そうですね。高専の卒業論文がニューラルネットワークで、筑波大学の卒業論文もやっぱりニューラルネットワークでした。高専に通っていた頃、ファジィ制御とかカオス制御とか1/fゆらぎとかニューラルネットワークなどを、応用に使えないかという研究をしていました。その当時、家電の広告で「ファジィ炊飯器」とか「1/fゆらぎ扇風機」といった、それまで聞いたことがなかった工学に関係する用語を目にしていたかと思います。新しい技術が家電などに応用され、それらがキャッチーな広告コピーとして流布していたという意味で、今のAIや機械学習ブームと似ていた時代でした。就職する自分をあまり想像できなかったので、京都大学大学院情報学研究科に進みました。後から他の院生に聞いて知ったのですが、通常大学院を受ける時は、まず教授を訪問して事前に相談するのが通例だったようです。でも僕は、「この先生面白そう!」というだけで、何もしないで願書を出して院試を受けてしまった。受験した日の夕方、受入先の乾敏郎先生から電話が掛かってきて、「小池君、一度話をせえへんか?」と言われて、「僕、電車に乗って実家に帰る途中なので、またでいいですか?」みたいな感じで返事をするという、恐ろしい世間知らずでした。合格したのは、本当に運がよかったです(笑)そんな適当な僕を大学院まで行かせてくれた両親には、感謝しかありません。大学院では視覚的注意のメカニズムを研究しました。視覚的注意にはトップダウンとボトムアップの注意があります。「この部屋の中で緑のものが変化しますよ」と先に情報が与えられて、緑のものに注意を向けるのがトップダウンの注意です。一方、ボトムアップの注意は、たとえば視野の周囲でピカッと何かが光ったらそこに注意を向けることです。指導教員だった斎木潤先生と一緒にニューラルネットワークと心理実験を組み合わせて研究をさせていただいて、結論が「ボトムアップの注意は、重要度の高いところに向く確率が高いけど、向かない時もある」というファジィ制御や1/fゆらぎを研究していた僕らしいものだったのは、偶然ではないかもしれません。学位取得後に、情報通信研究機構で睡眠の研究を始めたのがfMRI(機能的磁気共鳴画像法; functional magnetic resonance imaging)を使うようになったきっかけです。研究室主宰者の宮内哲先生がREM睡眠にとても興味をもっておられて、被検者さんが眠っている間の脳波とfMRIのデータを同時にとって解析する研究を5年位続けました。ここでfMRIや脳波の原理や計測、解析の方法を学んだのは、その後の研究生活

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