「いつも不思議に思っていたのですが、あるイメージを実際に目で見ると同時に、頭の中でもイメージできるのはなぜなのでしょう?」「一旦はサイエンスを学ぶ道が閉ざされてしまったのに、今は神経科学者になっているHakwanさんの人生の歩みは、科学者になりたいけれど学校の科学が苦手な学生にとって励みになると思います。」以前私は盲視を研究していました。盲視というのは、一次視覚野が損傷を受けた状態で、そうすると視覚の主観的な経験はできなくなる。でも、目の前にある刺激が何なのかを推測できる方がいる。目の前に線を書いて、線は水平か?垂直か?傾いているか?といった質問をすると、正しく回答できる。目の前に障害物を置いて「歩いてみてください」と言うと、置かれた障害物を避けて歩く。明らかに、無意識の視覚が備わっている。彼らの視覚と正常な視覚を比べると、違うのは主観的な経験だけで、機能面は維持されたままです。主観的な経験だけが異なるというケースを見つけたいと思っていましたが、盲視はまさにそれでした。しかしながら、とても稀な条件です。ところが、盲視と同等の症状を抱える人が人口の1%程度いる、ということが論文等調べるうちに分かりました。それがアファンタジアです。「目を閉じてリンゴを想像してください。そのリンゴはどのくらいの大きさですか?」と聞くと、「これくらいの大きさです」と多くの人は想像したリンゴの大きさを示すことができます。「そのリンゴは赤いですか?青いですか?」と聞けば、多くの人は色を答えることができます。ところが一部の人は、「リンゴを想像するように言われたので想像したけど、そのリンゴの大きさや色をどう説明したらいいのか分からない。なぜなら、そのリンゴはただの概念だから」と言うんです。彼らには心的イメージがない。アファンタジアの方は明らかに、鮮明なイメージを想起することなく記憶している。主観的な経験がないのに機能的には全く問題ないという、私が探していた条件に合致した方々です。アファンタジアの方は自覚がない方が多いのですが、これまでの人生で特に支障がなかったからです。作業記憶や視覚的記憶などあらゆるタスクがこなせるから機能的には全く問題ない。アファンタジアが研究され始めたのは10年ほど前からです。私は、彼らの脳内で何が欠けているのか、何が違うのかを明らかにしたいと思っています。本質的に、彼らがイメージする時、私たちとは異なる主観的な経験があると思われます。良い質問です。どうしてその二つが重ならないのか。実は私が書いた本の中で、仮説としてあるメカニズムを提示していて、前頭前野にその理由があると考えています。それを裏付けるエビデンスもあって、もしそれが正しければ、げっ歯類は頭の中でイメージしたものと自分が見ているものとが競合している可能性があります。想像と現実が混同している状態です。げっ歯類がそうだとしても不思議ではありません。意識はあっても、人間のそれとはかなり違うかもしれない。実は、神経科学の本や教科書を全くといってよいほど読んでいません。神経科学を学び始めた頃、パッシンガム先生から論文を読むように言われたのですが、最初は大変でした。でも、1年経った頃には新聞を読む感覚で論文を読むようになっていました。それで全く問題ないと思います。背景知識がない人は、そうやって学べばよい。私のように、学校で習う科学が苦手だった優秀な研究者を何人か知っています。学校の勉強と科学者として挑戦的な課題に挑むことは、全く異なるスキルです。そして、自分がチームリーダーとなった今、求められるスキルが変わったと思います。研究者を雇い、彼らと話すことが大事になります。彼らに信頼してもらわないといけない。私がただ彼らの知識を利用しているだけじゃないということを分かってもらい、様々なスキルを持つ人たちと一緒に仕事ができないといけません。それは、自分自身が何でも知っているということよりも、ずっと大切なことです。■ 取材日:2023年1月17日
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