CBS Magazine vol.5
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“In Consciousness We Trust: The Cognitive Neuroscience of Subjective Experience”, Hakwan Lau, Oxford University Press, 2022「UCLAの教授を辞めて、CBS(理化学研究所 脳神経科学研究センター)に移られたのはなぜですか?」「ご自身の研究テーマについてお聞かせください。」「最近出版されたご著書についてご紹介いただけますか?」「アファンタジアについてお話しいただけますか?」性のほうがずっと高い。科学にとどまるべきだ」と言ったんです(笑)そのほうが良さそうだと私も納得したので、科学から離れませんでした。決断したのは数年前で、40歳になった頃です。軽いミッドライフ・クライシスというか、そこまででもないかもしれませんが(笑)そのままUCLAにいると、そこでの生活が人生の全てになってしまうと思ったんです。もう一つの理由は、学問的なこと。CBSは研究資源などのリソースの点で、かなり恵まれている。それに、大学より研究に専念することが許されている。私が特に親しくしている柴田和久チームリーダーや宮本健太郎チームリーダーは、私の研究トピックにとても興味を持っていて、一緒に議論したり考えを膨らませたりすることに多くの時間を使うことができます。研究以外のことに費やす時間がすごく少ないのは特別なことで、もっと多くの研究者に知ってもらうべきだと思います。主に前頭前野と呼ばれる脳の部分、特に外側前頭前野を研究したいと思っています。ヒトにおいて、特に発達している部分です。言語機能は外側前頭前野にありますし、比喩など多くの高度な認知能力をつかさどっています。ヒト特有の認知能力に関心があり、これらが意識とどのように関係しているのかを知りたいと思っています。というのも、前頭前野のこうした認知能力や機能は、思考するために使われると従来考えられてきました。意識は知覚、感覚の問題であって、前頭前野が担うような高度な認知機能とは関係ないと思われてきた。そこに一石投じたいのです。私は、基礎生物学的かつ哲学的な問いに取り組みたいのです。表紙がちょっと面白い感じだし、タイトルもキャッチーかもしれませんが、中身はいわゆる学術的なモノグラフと呼ばれるもので、基本的には研究者向けに書きました。私が過去20年間に行った実証的研究を全てまとめて、文脈に即して整理して、意識における前頭前野の重要性を主張するための論証をまとめたものです。この主張には反対する同僚もいます。主観的な経験としての意識について考えるのであれば、それは単に知覚の問題で、前頭前野とは関係がないと言う人もいます。私は、それは間違っているんじゃないかと思っています。なぜなら、知覚も前頭前野と大きく関わっているかもしれないからです。動物とは異なる前頭前野を持つヒトの知覚は、動物のそれとは違うかもしれない。ヒトの意識は、他の動物とは異なる方法で生まれているのかもしれません。動物に意識があるなんてどうして分かるのだ、と言う研究者もいます。見た目には意識があるようでも、神経生物学者としては、意識することを可能にするための神経回路が備わっているかを基準に考えなければいけない。問題は、私たちがまだその回路を完全に理解できていないことです。私の本は、その議論をテーマにして書いています。最後の数章は哲学のサイドプロジェクトのようなもので、まだ全てのデータがそろっている訳ではありませんが、その回路を説明するモデルをどのように構築できるかを説明しました。やや推測的な部分です。意識の研究分野は最近極めて理論的になっていますが、野心的な理論を展開するにはデータが十分でないように私は感じます。実証的に厳密であることの重要性が消え去ったように感じてしまうのは、残念なことです。

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