CBS Magazine vol.5
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「どのような道を経て、研究者になったのですか?」「アートやクラシック音楽がお好きだそうですね。」子どもの頃は自分で絵を描いてすごろくを作ったり、段ボールで工作したりするのが好きでした。母に言われて勉強はするけど後は友達と遊んでいました。中学校ではバドミントン部に入っていたのですがこれがとにかく厳しくて。最初見学に行った時は、華やかにシャトルをぱんぱん打っていて面白そうだなと思ったのですが、入部してみると先生がめちゃめちゃ厳しくて、3年生の夏位まではバドミントン漬け。夜も8時位まで練習してへとへとになって帰って、それから宿題をやるような日々でした。バドミントンの練習に比べたら机に向かって勉強することなんて本当に楽でしたよ。高校は神奈川の桐蔭学園に入って、部活もやらずに1年生の時から東大を目指して授業に打ち込む、という毎日でした。でも数学に面白い先生がいて、難しい問題を出してくるのでそれを1週間位考え続けて解いていました。数学の論理力を使うところが好きでしたね。受験が終わってからも数学の問題集を買ってきて解いていました。そして、これは日本の教育システムの悪いところだと思うんですけど、大学に入って全然勉強しなくなりました(笑)大学では絶対きついクラブには入らないぞ、と決めていたのでみんなでワイワイ楽しくやれるかなと思ってソフトボールのサークルに入ってみたんですが、これがまたすごくきつくて。僕は本当はスポーツ苦手なのであまり活躍できなかったんですけど、同期の人たちが頑張ってインカレの全国大会へ行って、ベスト16に残りました。僕はどちらかというとスタッフとして交渉を頑張って、見事サークルを運動部に昇格させました。結局4年生の夏位まではほとんど勉強もせずソフトボールばっかりやっていたんですが、中学の時のバドミントンと大学のソフトボールで死ぬほどきつい思いをしたので精神面では結構鍛えられました。研究を始めたら、椅子に座って手を動かしているだけで良い。なんて楽な仕事だろうと(笑)高校生の時に横浜でホンダのASIMOのお披露目会があって、ASIMOが人間みたいに歩いていくのにすごく感動して、将来はヒューマノイドロボットを作りたいと思って大学では工学部機械情報工学科に入ったんですが、とにかく周りが優秀。入学した時から既にプログラミングの達人みたいな人がいた。でもその英知を集めてもできるロボットが皿洗いロボットとかで、しかもそれが高確率で皿を割るんです。感覚のフィードバックを使って今握った皿がどれくらい硬いかというのをセンサーで把握して、コンピュータの脳の回路に情報がいって、それをロボットの腕に反映させる、この回路がどうしても時間がかかってしまうので、指令が返ってくるまでに皿を割ってしまう。これだけ頭の良い人たちが当時の最先端技術を使ってもそういう限界があるのか、って思うと同時に人間の脳ってなんてすごいんだろうと思ってブルーバックスとか脳に関する本を読み始めました。それで4年生の時に学科の中で唯一脳を取り扱っていた神崎亮平先生の研究室に入ったんです。研究室には神崎先生と高橋宏知先生の二人がいて、高橋先生は人間やほ乳類の脳を扱っていたので最初はそちらの研究をしようと思っていたのですが、神崎先生が昆虫の脳は面白いというのをすごく力強く説明してくれて、そのアピールに圧倒されて昆虫の脳の研究を始めました。小学生の頃から大学の研究室に入るまで、昆虫の脳とは全く無縁の世界で生きてきたんですけど、偶然が重なりあって今も昆虫の脳を研究している。自分が何に興味を持つのかって、実は偶然のつながりなんじゃないかなと思います。もしあの時他の研究室に行っていたら他のことに興味を持っていたでしょうし。性格上、何か一つのことに集中してやる傾向があるので、何かしらの研究はやっていたんじゃないかなとは思いますけどね。美術や絵画がすごく好きなのでアートの学芸員とか。学部時代は年に50回くらい美術館に行っていました。フランスのバルビゾン派、ジャン=バティスト・カミーユ・コローの郷愁を誘う色遣いが大好きです。日本画なら葛飾北斎とか酒井抱一、上村松園なんかが好きで

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